伝票にしるしをつけられていた喫茶店売上げを落とすことを、税務署では売上げ脱洩という。現金の売上げが多い広は、毎日ほんの少 しずつ売上げをちょろまかしていても、座も積もれば山となる。そこをねらって税務署はいろいろ な手口を使って、売上げ脱洩の発見に努力するのである。
有田和子会干四歳〉は、東京の神田駅近くに喫茶店を居抜きで売りたいという人があったので、 昭和五十二年三月に小さなピルの一階の屈を買った。権利金と造作代で一千八百万円、店の広さ は約六0平方メートル(約十八坪〉、主な什器類もついているからそれほど高くはない。
彼女は十年前にM美術大学を卒業した。絵を描くことに熱中し、いい寄る男もあったが、見向 きもせずにひたすら精進しているうちに、婚期を逸してしまった。彼女は、有田家の長女で、妹 と弟はとっくに結婚して別居しており、昭和五十一年に父一作が死亡、母の面倒をみるというこ とで、遺産の大部分を相続した。その額は預金や株券、住宅を合わせて、五千万円はあった。
店の購入資金はその相続した財産のうち、株券を処分したりしてつくりだした。彼女の趣味と いうか本業というか、絵画のセンスからにじみでる広のインテリアが客受けして、屈は開店早々 から繁盛した。弟の卒業した大学に頼んで、男のアルバイト学生を二人常時雇っていた。
売上げと仕入れと経費を適当に帳面につけておけばいいんだよという、経営者仲間の言葉を信 用して、人に習いながら、家計簿にちょっと毛の生えた程度の帳面をつけた。売上げも一人客の ときは面倒だからと、ちょいちょいレジにも打ち込まないこともあった。
昭和五十二年分は年の中途からなので、売上げ九百八十万円、所得金額八十万円として申告し た。昭和五十三年分は売上げ千三百万円、所得金額二百十万円で申告した。
「明日から調査に行きたい」
と税務署から電話を受けた彼女は、こんな小さなところだから、たいしたこともなかろうと、 気軽に承知した。最初は仕入れの金額や経費を調べられた。一段落したところで、
「去年の九月二十八日の売上伝票をみせてほしい」
といわれた。毎日の売上伝票は束ねであったので、その日の分を探しだして渡した。調査官は 一枚一枚めくって、調べていた。
「これは落としている分がありますね」
といわれて彼女はギョッとしたが、ここを踏みこたえねばと、きっぱりといった。「うちはガ ラス張りで、ひとつも落としていませんよ」
「おかしいじゃないですか、この日に私がコーヒーを飲んで、伝票の哀にしるしをつけておいた のがないじゃありませんか、そう午後二時頃だったかな。どうしたんですか」