喫茶店でホステスに水揚げをしゃべられた無届けクラブ

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喫茶店でホステスに水揚げをしゃべられた無届けクラブ
 バーやキャバレーは、女性が“売り物”である。客受けのいい女性が揃っていると、売り上げも 伸びる。そこは税務署も目をつけるところである。しかも、広によってはホステス一人一人にノル マを課すところもある。勢いホステスは得意客を競ってつかもうとする。

 近藤麗子(三十八歳)は十六歳で上京し、十八歳といつわって、最初は新宿のバーで働きだし た。最後の店は六本木だったが、二十年たたない聞に、なんと二千万円を貯め込んだ。国電市川 の駅近くに二千三百万円でパlの売り物があった。値切って千八百万円は即金で払い、残り三百 五十万円は一年で払うことにして、自分の店を持った。

 末の弟康夫(二十四蔵)にバーテンの仕事をおぼえさせ、自分の名前をそのままとった「麗子」 というクラブを開いて三年になる。十五坪の陪にホステス十二人をいれている。東京の都心で働 いているOLのアルバイトもいる。

 開店当初はホステス一人の水揚げ五万円と踏み、懸命に奮戦した結果、一年もたたないうち に、五万円は軽く突破した。水揚げはだいたい十日目ごとに精算し、固定給のほかに報奨金も支 給する仕組みにしたので、ホステスも頑張った。三年目には一人のノルマがひと晩八万円にもなっていた。 ホステス十二人で一人平均一日八万円の水揚げだから、一日で百万円近い売上げになる。麗子 は、ホクホクだった。当初の借金もきれいにし、店の造作や椅子、テーブルも思いきって豪華に した。

 相田作造(二十八歳〉は近くの税務署で所得税を担当していた。彼はある日の夕方、駅前の喫茶 店で友人を待っていた。

 「どううちの店にこない。一日八万円ぐらいの売上げがノルマで、わたしは二年目だけど月二十 五万円はかたいわ。ほかにチップもあるしね::・」 という隣のボックスの会話を小耳にはさんだ。

 「なんというお屈なの・・・・・・」  

 若い女の声だった。

 「このすぐ近くで、『麗子』っていうのよ」

 相田は手帳に「鹿子」と書き、ノルマ八万円と記入した。 翌日彼は税務署へ出動して料理飲食店やバーの担当者に聞いたら、「麗子」からは申告もなに も出ていないというのである。

 ニヵ月後、麗子は税務署に呼ばれた。女というものは、いざというとき度胸がすわるものである。預金通帳をいつものように押し入れのふとんの下にしまい込み、目立たない粗末な着物で税 務署にでかけた。

 実はその聞にこっそり内偵調査が行われ、ホステスの人数も確認されていた。そして、月の売 上高は平均二千万円という膨大な金額で推計されてしまったのである。事業税、所得税、加えて 住民税やらなにやらで、税金は七千万円ぐらいになってしまった。

 とんでもない話だと、鹿子は頑強にそんなにもうけはないし、そんなにたくさんの税金は払え ないと言い張った。だが、相手のいうことも筋がとおっている。その日は半日ねばり、それから 三日間ねむい限をこすってでかけ、ねばりぬいた。ようやく開店以来の分として四千万円ほどで 折り合った。