間借入の勤務先からアパート経営者の収入が調べられたとくに資産を中心とする税務署資料の蒐築技術は、年とともに磨きがかかってきた。会社によっ て社員に住宅手当をだすところが多い。借家なのか自分の持家なのか、アパートなどを借りている のかを問わずに出している場合でも、このことが家主の税金にひびくことがある。
名和製作所は従業員三十名をかかえた機械加工の町工場である。従業員の宿舎をつくるだけの 能力もないので、家族持ちには月二万円、独身者には八千円の住宅手当を皆に出していた。 一方、税務署は近ごろ、アパート経営者の中には部屋代のごまかしが相当あるという情報か ら、このところ半年ぐらいそれぞれの管内のアパートを一民つぶしに足で調査していた。また同時 に、会社の源泉所得税の監査にからめて、どんなこまかい情報でも蒐集するように指令されてい た。
名和製作所も源泉所得税の監査を受けた。住宅手当を給与に上乗せして、所得税を源泉徴収し ているから、このことについては問題はなかった。簡単に終わったと思ったら、従業員三十名の 現住所を全部写しだした。二人か三人は自分の持家に住んでいるので、それには「自家」と印を つけている。あとは借家かアパート住まいである。借家をしているものは家主の氏名を聞かれた。
アパートは何々荘とたいてい名前がついているので、たいしてしつつこく聞かれなかった。 税務署にやられたのは、実は、アパートの経営者だった。この持ち帰った資料をもとにして、 それぞれのアパートの所在地の税務署が動きだしたのである。 調査のやり方は、どこも同じようであった。アパート経営者が持っている借家人名簿と収入簿 との突き合わせである。
蔵前のごちゃごちゃしたアパートの密集地帯に沼井初世(五十六歳〉の持っている小さなアパー ト「初花荘」に調査官がやってきた。初世はなかなか口のうまい女で、
「そうね三年ぐらい前まではいたけど、いまはいないよ」
と名和製作所の従業員根津清(二十五歳)についていい、だから借家人名簿にもないとわざわざ ひろげてみせた。沼井の自宅と初花荘はちょっと離れているので、調査官は沼弁の家を出ると、 初花荘に寄ってみた。廊下を掃いている小母さんに、
「根津さんは、今日はおでかけですか」
と鎌をかけた。
「あんた、根津さんの友達かい。友達だったら先月貸した八千円を早く返してくれるように言っ とくれよ。部屋あそこなんだけど、工場へ行っているんだかなんだか…」 初世のウソは簡単にバレた。