個人商店にはうまく相続税を逃れる手がある会社の社長が自分の息子に会社を継がせるのには、株式を引き継がせることです。個人商店では商店 を息子に継がせるには、生前なら贈与により、死後なら相続によるしか手はありません。個人商店の場合、 背色申告の特典をうまく活用して、相続税の負担を軽減できるという手に、気がついている人が意 外に少ないのです。
個人商店の相続では、商売用の店舗から仕様、あるいは車両運搬具、そのほか、たな卸資産と いったすべての資産、商売上の買掛金や支払手形、あるいは借入金といったすべての資産を相続 財産および債務として承継し、相続税の計算をします。この場合に資産が少なければ少ないほど、 相続税の課税価格になる正味財産が少なくなり、結果的には相続税の負担が少なくなります。 相続税は贈与税より安くすむことはまちがいないが、その相続税にしたって安いのに越したこ とはありません。合法的に相続税を安くする方法があるのです。
いまは故人となった奥田長士口は、昭和三十年から死ぬまで青一色申告をしていました。営業は金物屋 で、この地方では相当に手広い商いをしていました。いまは息子一郎(五十五歳〉の代になっています。 故人は一郎を旧制商業学校をでてから十年近く、よその店で仕事をおぼえるために働かせていました。 長吉の店で働くようにしたのは、昭和三十二年頃からです。その後、青色申告者の親族で 事業に従事するものに対して、適正な給与を払ってもよいようになってから、息子の同期生たち が大企業に勤めることも手伝って、息子に生きがいを持たせるために、給料を世間並み以上に支 払いました。しかし、故人の本当の意図は別にあったのです。家業を相続させるときの相続税対策です。 つまり、少しずつでも自分が死ぬまでに息子の資産を増やしていくためでもあったのです。
彼は息子に店を相続させる時点を息子が四十歳になったときと考えていました。そして、コツコツ と二十年間、毎年贈与税の基礎控除六十万円以下の現金贈与をしていました。もちろん、息子には全 部預金させました。ときには、現金ではなく、償却して価値の目べりした運搬用のトラック、コピー 機械、レジスターを与えました。そしてそれらを彼からの貸与というかたちをとったのです。こうすれば、 まず贈与税はかかりません。
息子は息子で、このほかに将来事業を拡大させるためにと、各種手当として受けとった専従者 給与の一部を、確実に銀行預金と手がたい土地投資にまわしていきました。 さて、二十年が経ち、長吉の引退を期に相続のときが来ました。いまさら、彼にやる現金はありません。あ るのは“信用”という名の財産と、顧客名簿、そして、残された若干の什器備品、それに店舗でした。 息子は当時の評価額八百万円で店舗を長吉から買いました。結局、大きく課税されたのは一部 の所得税だけ。これが専従者給与をうまく考えて節税をした見本なのです。